平忠度は熊野生まれの熊野の育ちと言われ、熊野川沿いの音川が生誕の地と伝えられます。
平忠盛が熊野に来たときに熊野の女性を見初めて結ばれ、忠度を生んだのでしょう。
忠度の母について『平家物語』巻一の「鱸(すずき)の事」に書かれた部分を現代語訳。
忠盛はまた上皇の御所に仕える女性を恋人に持って通われたが、あるときのその女房の局に、端のところに月を描いた扇を忘れてきたので、仲間の女房たちが「これはどこからの月影だろうか。出所があやしいですねえ」と笑い合った。すると、かの女房は、
雲居よりただもりきたる月なればおぼろげにてはいはじとぞおもふ
(訳)雲間からただ漏れてきた月なので、並大抵のことでは言うまいと思います。
と詠んだので、忠盛はこれを聞いて一層愛情が増した。似たもの夫婦といった風情で、忠盛も風流だったが、かの女房も優雅だった。薩摩守忠度は母はこの女性である。
この話は後から創作されたものらしいですが、この話の通りだとすると、この女性は熊野から京に出て忠度を愛を受け、子を宿してから熊野に戻り、忠度を生んだということになりそうです。
忠度は歌人として名高く、その父も母も歌の道に優れていたのだということにしたくて、この話が創作されたのでしょう。
元記事は「忠度の母と妻:熊野の説話」。